• Sherilyn Monroe really likes Rally Lawren.

    さて、土曜日はレッスンの後に遊べる日だ。

    「まずは飯にしようか。」

    「父さん、先日のスパゲティの材料はまだあるの?」

    「あるよ。あれを作ってくれるのか。」

    「うん。あれでいいんじゃない?」

    「いいねぇ。あれはうまかったからなぁ。ただしきょうはノンアルスパークリングワインを用意してないから3人とも水・お茶・紅茶のどれかを選んでくれ。」

    「はい。了解。」

    料理の道具と材料を用意しながら3人はきょうの遊びの計画をする。

    「何して遊ぶ?」

    「野球?」

    「ダメだ。うちには道具がない。きょうのために3人分の道具を買ったりしないぞ。」

    「ゲーム。」

    「ピコピコならダメだ。ピコピコは一度パターンを知ってしまうと、そのあとは反射運動だけでやるようになる。もっと脳を使うゲームにしてくれ。まずは屋外での遊びと屋内での遊びの二択だろう。最近ふたりは通学してないことだし、屋外はどうだ?」

    「屋外で野球がダメとなると…サッカー・テニス・バドミントン・キャッチボールくらいかな。」

    「サッカーがいい。智哉、ボールを持ってるか?」

    「ない。遼一は?」

    「うちにもない。」

    「なら買おうか。ブラジルその他の貧しい国がなぜサッカー大国なのかを知ってるかい?サッカーならボールさえあれば遊べて、遊びが興じればプロの選手になれるからさ。さあ、ボールを買って、運動場に向かおう。智哉3人分の水を水筒に用意してくれ。」

    「はい。了解しました。」

    車の中で大樹さんは L と R の発音の違い説明をしてくれた。練習も少しした。

    「L の発音は「el」。上顎の裏に下の先をつけた時点で終わり。決して「elu」といわないように。よって “ball” の語尾の発音は “bo-l”となる。”wall,” “fall” についても、語尾の発音については同じ。一方 “R” の発音は、下の先を口の中で立てておいた状態から、下の先を口の奥に近づけていって終わり。よって “door” の発音は “do-r” となる。

    「例文を作ったぞ。これの発音練習をしてみよう。」

    Sherilyn Monroe really likes Rally Lawren.

    「今回はこの一文だけだ。L と R を意識しながら単語ひとつずつ発音してみよう。SheriLyn。」

    「SheriLn。」

    「MonRoe。」

    「MonRoe。」

    「ReaLLy (著者注釈:伸ばせる2つの子音が続いたら、その2つをつないで1つの子音として発音する)

    「……Lawren。」

    「……Lawren。」

    「いいね。その調子でこの一文全体を繰り返して練習してごらん。練習の成果は帰りの車で聞くよ。」

    スポーツ用品店に着くと3人はサッカーボールを探し始める。

    “OK, young man, let’s find a good soccer ball.”

    大樹さんのセリフが突然英語になった。習ったばかりの英語をボクたちにきかせるつもりだ。

    「ボール売り場はこっちみたいです。」

    「いろいろあるな。迷うか?」

    「はい。」

    「智哉はどうだ?」

    「いっぱいあって迷います。」

    「迷ったときにはまず直感で候補を挙げろ。値段を見るのはその後だ。」

    「これがいい!」

    「ボクもそう思う。」

    「なぜそれなんだ?」

    「ガラがカッコいいからです。」

    「アディダス製。割引があって5000円か。まぁいいだろう。

    これで二人が外で遊ぶようになれば、安い買い物だ。支払いを済ませると、私たちは運動場に向かう。

    遼一くんも智哉も、ネットに入ったボールを持ち歩いてると、「やってる」っぽい気持ちになるらしく、二人とも喜んでいる。

    「二人とも、サッカーの経験は?」

    「体育の授業で少しやったくらいです。」

    「右に同じ。」

    「そうか。なら毎回テーマを決めて練習してから1オン1をやるのがいい。毎回が1オン1だとそのうち飽きるからな。では、きょうのテーマは?」

    「リフティングがいいんじゃない?」

    「1対1のパスもね。」

    「よし、その2つでいこう。」

    私は口を出さずにただ見ていた。リフティングは難しい。初心者は3回やるのが精一杯だ。20分くらい粘ったのち、遼一くんは5回できるようになった。

    「そ、そろそろパスの練習に移ろう。」

    「ああ。」

    二人とも息が上がってる。リフティングは見た目よりも運動量が多いし、初心者は無駄な動きをするから、無理もないだろう。パスは二人ともうまい。インサイドキックがちゃんとできている。

    さて1オン1は? …………ダメだこりゃ。二人とも攻めることばかりを考えて、守ることを考えてない。

    「水をください。」

    「水を持ってきてよかったなあ。さあ、帰るぞ。」

    「大樹さん、サッカーボールをありがとう。」

    「良いってことよ。どんな生き方をするにも身体は大切だ。身体を大切にするといい。… 疲れているみたいだから続きは水曜日にするか?」

    「いえ、いま少しならできます。ボクからいきますね。 “Sherilyn MonRow Really Likes Larry Lawren.”

    「はい次は遼一くん。」

    “Sherily M…………… Larry Lawren.”

    「いま感じていることを言葉にして。智也から。」

    「日本語にない音が2つもあって、やりにくいと感じます。」

    「日本語では L も R もラ行の子音だから、L と R がゴッチャになります。」

    「まあ、二つともよくある感想だよ。それでも、二人はその例文をゆっくり・はっきり読もうとした。それはとてもいいことだ。その調子で練習を続けてくれ。次回はまず “This Little Pig Went to Market” をやって、Sherilyn は最後に少しだけだ。」

    「はい。わかりました。」

  • This Little Pig Went to Market.

    「さて諸君、予習をもしするなら音声を聞くだけにしておくようにいっておいたはずだが、そのとおりにしてくれたのかな。」

    「はい。そのとおりにしました。」

    「しました。」

    This Little Pig Went to Market 

     (Mother Goose)

    This little pig went to market.

    This little pig had roast beef.

    This little pig had none.

    And this little pig cried;

    “Wee-wee-wee-wee-wee.

    I can’t find my way home.”

     この子豚は市場にいった。

    この子豚は家にいることにした。

    この子豚にはローストビーフがある。

    この子豚には何もない。

    そしてこの子豚は泣いた。

    「えーん、えんえん、えーんえん。

    帰り道が見つからないよう。」

    「ではまずは聴いてくれ。」

    と言って大樹さんは上記の例文を読み上げた。

    「さて、何か気づいたことがあるかな。」

    「 “this (ðɪs)” の発音が日本語の『ディス』や『ズィス」とは違うように聞こえます。」

    「せっかく話題になったから先に説明してしまおう。 “this (ðɪs)” の発音は日本語にはない。濁った”th(ð)” を発音するときにはまず息を吐きながら舌を両方の歯の間に挟む。そして、続く母音を発音するときに舌を口の奥に素早く引っ込める。するとこの場合は “thi (ðɪ)”という音が鳴る。

    「ほかに気づいたことは?」

    「ところどころで音が飛んでいます。」

    「そのとおり。そしてそれがきょうの要点だ。一行目に “This little pig wenT To market.”とあるね。この行では wenT の ”T” と To の ”Tが続いている。”このように、伸ばせない子音同士で、発音方法が同じかまたはよく似た2つの子音が続くときには、語尾の子音を飲んで語頭の子音を優先して発音する。よってここの発音は “This little pig wen(t) To market.”(著者注釈:カッコ内は飲む音。発音しない。ここに間を残すことでリズムを保つのが英語の特徴である。)

    「音を飲む箇所がほかにもあるかな。」

    「……3行目の “d” は飲みます。」

    「そのとおり。ほかには?」

    「4行目の “d”と“g” も飲みます。」

    「そのとおりだ。ほかには?」

    「…………ありません。以上で全部です。」

    「そうだ。では音読してみよう。私に続いて、2人で1行ずつ復唱してくれ。This little pig wen(t) to market.」

    「This little pig wen(t) to market.」

    「3行目。This little pig ha(d) none.」 

    「This little pig ha(d) none.」

    「An(d) this little pi(g) cried.」

    この日、ボクたちは Sherilyn Monroe の練習を3分くらいやって解散した。遼一はオンラインに残ってボクとLINER で話をした。

    「智哉は朋子さんに、このレッスンに参加してほしいんだな。」

    「そうだよ。朋子さんがいると、きっと楽しくなるでしょ。」

    「楽しくはなるだろうさ。でも俺たちより少し遅れて参加することになるぜ。そこんとこはどう考えてる?」

    「Humpty Dumpty はボクが教えるよ。その先はボクたちだって始めたばかりだから、2人がかりで教えれば、すぐに追いつくよ。どうせたいした学習量じゃない。」

    「そうか。そこまで考えてるならオレに異論はない。大樹さんが承諾してくれたらオレも OK だ。」

    「さっそく土曜日にはうちに来てもらおう。どんな遊びがいいかな。」

    「またサッカーでいいじゃんか。女子のサッカーチームだってあるんだから。」

    「そうだな。では雨天用にインドアのゲームを考えよう。これは2人の宿題だよ。期日は金曜日の夜。」

    「はいよ。了解した。」

  • 早いもので、もう一週間がたって、土曜日だ。手早く家事と漢字の自己テストを終わらせると、ボクは再び英語の暗唱練習ををした。残った時間で漢字のテスト問題を自分で作り、社会の教科書を1章だけ読んだ。9時10分前。遼一と通話する支度をしよう。10時少し前に call があった。

    「おはよう。」

    「ああ、おはよう。」

    「父さんが来る前に暗唱してみようか。」

    「ああ、いいぜ。オレからな。」

    「どうぞ」

    「Humpty Dumpty sat on a wo-u…………couldn’t put Humpty Together argain.」

    「うまくなってるな。じゃ、次はボクね。Humpty………………together again.」

    突然拍手が聞こえてきた。パチパチパチ。

    「上達してるじゃないか。いいぞ。」

    「何かおかしなことはなかった?」

    「いや、教えたことはちゃんとできてた。ならつぎをやろう。”This Little Pig Went to Market.” だ」

    This Little Pig Went to Market 

     (Mother Goose)

    This little pig went to market.

    This little pig stayed at home.

    This little pig had roast beef.

    This little pig had none.

    And this little pig cried;

    “Wee-wee-wee-wee-wee.

    I can’t find my way home.”

     この子豚は市場にいった。

    この子豚は家にいることにした。

    この子豚にはローストビーフがある。

    この子豚には何もない。

    そしてこの子豚は泣いた。

    「えーん、えんえん、えーんえん。

    帰り道が見つからないよう。」

    先に説明してこう。英語では、音を「飲む」ことがよくある。伸ばさない子音同士が続いてその二つの子音の発音が同じかまたは似ているときだ。例えば一行目。went to では2つの t が続く。こんなときは語尾の を飲んで語頭の t を優先して発音する。すると、”This little pig wen(t) to market (t は発音せずに飲んでしまう。)”。このほかにも飲む音と飲まない音の組み合わせがあるけど、いまは “this little Pig Went to Market” に集中すればいい。あとは追々覚えていこう。

  • 土曜日だ。大樹さんが休める日だ。お昼を食べながら人形型ペンの話をしよう。でもその前に英語の復習だ。今日はまず自分の声を録音しながら Humpty Dumpty の暗唱に挑もう。

    「Humpty Dumpty sat ‿ on ‿ a wo-u. Humpty Dumpty had ‿ a great fo-u. All the king’s howses, and ‿ all the king’s men, couldn’t put Humpty together ‿ again.」

    録音終了。では聴いてみる。録音した自分の声を聴くのはイヤなものだ。自分の声じゃないみたいに聞こえる。何年か前に大樹さんにそう言ったら、自分の声は骨伝導で聞こえる部分が大きいから、ほかの人の声とは聞こえ方が違うのだと教えてくれた。それはそうと、暗唱はおおむねできている。ところどころ手本と発音が違うのが気になる。あとで父さんにも聴いてもらおう。

    お粥が食べたい。タイマーを使えば勉強しながらでも米を煮ることができる。簡単に塩昆布・卵・乾燥野菜を入れて仕込んでしまおう。米が煮えたら薄い醤油味にしようかな。今日は母さんもいるから1リットルの水で一合の米を煮よう。煮汁が温まるまで Humpty Dumpty の暗唱をまたしてみる。煮汁が温まったらタイマーを30分にセットする。これでお粥作りの第一段落は終了。

    洗濯物はまだ溜まってない。床掃除だけやろうか。床掃除をフローリングワイパーでやると、ボクは自分の個室に戻って勉強を始める。

    まずは昨日作った漢字の自己テストだ。やってみたら、30問中24問しか正答できなかった。せめて 27問は正解したかったな。国語の教科書を20ページほど読み進めてから漢字自己テストを20問ほど追加する。このテストは明日以降にやる。次は算数。1章進めた。どうということはない。次は理科。2章進んだ。どうということはない。まだお昼まで時間がある。社会の教科書を読もうか。読むだけなので2章進んだ。これできょうボクは主要4教科の全てを進めたことになる。

    さて、宇宙海賊のアニメを見よう。やっぱりこの海賊はカッコいいなぁ。例の特殊な銃を仕込んでいるのは左腕か。ここは重要な設定だから、間違えてはいけない。

    大樹さんが起きてきたようだからボクは個室から出てキッチンに向かう。

    「おはよう。いまお粥を作ってる。米はもう煮えてるはず。きょうの具は塩昆布・卵・乾燥野菜でいいかな。」

    「ああ、作りたいように作ってくれ。」

    「うん、そうする。ねえ父さん、いま少し時間がある?話したいことがあるんだ。」ボクはひととおりの具材をお粥の鍋に入れると、タイマーを10分に設定した。

    「時間ならあるよ。話したいこととは何だい?」

    「This is a pen という、誰も使わない英語の例文があるのは知ってるよね。」

    「ああ、誰もが知ってる。」

    「それを面白く表現するおもちゃを考えたんだ。」

    「どんなおもちゃだ?」

    「宇宙海賊のアニメは知ってるでしょ?」

    「知ってるよ。」

    「その主人公の人形を作っておいて、左手には実は特殊な銃が仕込んであり、銃であるはずの部分が実はペンでした、というものなんだ。ここまでは遼一とボクの二人が出したアイティアで、ここから先はボク一人のアイディア。その人形の脚は台座に取り付けて、台座の側面には This is a pen. って書くの。そして本体と腕は脱着できるようにする。」

    「面白いシャレだな。」

    「面白いでしょ?このアイディアを遼一とボクの二人でおもちゃメーカーに売り込むことも考えたけど、不登校の10歳児からは誰も何も買ってくれないよね。だから、アイディアを冊子にまとめるのは遼一とボクとでやるから、父さんにはプレゼンテーターの代理をお願いしたいんだ。」

    「うーん、面白いアイディアだけど、そのアイディアをまとめた冊子の出来によって、引き受けるかどうかを決めよう。」

    「では次の話題。暗唱に挑んでみたから、父さんも聴いてみてくれる?」

    「もう暗唱に挑んでるのか。」

    「たった五行だもの。ただ覚えるだけなら簡単だよ。ところどころボクの発音が手本と違うのが気になるんだ。録音しておいたから聴いてみて。」

    そう言ってボクはケータイを大樹さんに渡した。

    「……リエゾンはできてるな。発音が手本と違う部分は、まだ教えてないことを含んでいるから、この時点では気にしなくていい。いい調子で英語が上達しているから、このまま続けるといい。」

    「そう。話したかったことは以上の2点です。」

    「そうか。1日で随分上達したな。」

    「まだまだイケるよ。」

    「そうか。楽しめよ。」

    「頑張れよ」と言わずに「楽しめよ」というところが、うちの親とほかの親との違いだ。ボクは大沢家に生まれて良かった。

  • 夏休みだ。今日も夏休みだ。7月12日からずっと夏休み。大学並みに長い夏休み。大学生なら「アルバイトでお金を稼いで夏休みの最後の数日は豪遊」という手もあるのだが、10歳児は賃金労働をさせてもらえないし、不登校のボクに夏休みの宿題はない。暇だ。……暇になったら勉強だ。あと3年といわず2年で義務教育の課程を修了してやる。まずは算数からだ。教科書を読んでは問題集をやる。なんで問題集のことをドリルっていうんだろう。ネットによると、ドリルとは反復練習のことだそうな。ドリルだけで本になるのは退屈だな。問題集の一部がドリルならわかるけど。

    今日の課題は2桁の掛け算と割り算。こと2桁の計算となると、大きな位から計算を進めるインド人のやり方の方が優れていると思う。例えば34×12なら10 x 30を先にやる。この答えは300。次は10 x 4=40。次に2x 30=60。最後に2x4=8。以上の合計が408。こうすると大きな位から順番にわかってくるので、大きな間違いがない。最初の300が出た時点で、「あ、最終的な答えが1000を超えることはないな」とわかる。インドには2桁掛け算の九九があって、皆それを覚えてしまうらしい。ボクもやってみようか。10 x1=10, 20 x2=40, 30 x3=90 (中略)90 x9=810。良し!法則性が見えてきたぞ。じゃあランダムに70×5=350, 60×7=420。「数十掛ける数十」なら、答えにゼロが2つつく。10×10=100(中略)90×90=8100。なんだ。覚えるまでもないや。少し考えればわかることだ。基本的には一桁九九と同じで、一桁九九の終わりに、イコールの右と左の0の数を揃える。それだけだ。インド人は本当にこんな2桁九九を覚えるのか?暗算に慣れてるだけじゃないのかな。

    はい。掛け算終わり。割り算は掛け算の逆だから、掛け算ができれば割り算もできる。次の章に進もう。

    次の章は分数の掛け算と割り算。分数になったら、掛け算するときには分母同士と分子同士を掛けておいて、最後に約分する。慣れると計算途中で約分できるようになる。例えば、(5/12) x (3/7)なら12と3で先に約分して、=(5/4) x (1/7)とする。答えは5/28。割り算は、クラスメイトが塾で習ったやり方を使おう。割る数の逆数を掛けるというやり方だ。こうすると割り算は掛け算になるので、簡単にできる。はい。分数の章も終わり。

    次。国語をやるか。読解問題は退屈だ。日頃から読書をしていれば「傍線部の『それ』は何を指すのでしょうか。」などという問題はもう問題じゃない。いちど読めばわかるじゃないか。あんな問題は若者を馬鹿にしている。漢字の一覧を眺めよう。そうだ。苦手な漢字を克服するために漢字検定を受けようか。大樹さんに相談してみよう。「覚えるために書く」とはよく聞く話だけど、そんなことをしたら書くことが目的になって頭を使わなくなるから結局覚えない。そうか。ボクが漢字を苦手としているのは、漢字の覚え方がわからないからだ。遼一にLINERで文字メッセージを送ろう。「どうやって漢字を覚えてる?」漢字を眺めているだけというのも退屈だ。10分も経たないうちに飽きた。

    次。社会。これは教科書を読むだけ。あまり退屈しないで40ページくらい読んだけど、「社会勉強してほしければ若者を学校に閉じ込めるのをやめろ!」とボクは言いたい。学校には社会科見学というイベントがときどきあって、ボクはそのイベントが好きだ。あるとき、近所の製菓工場を見学して、帰りに段ボール箱一杯のお菓子をお土産にもらった。学校に帰ってこのお菓子を皆で分けたら、小売単位でひとりあたり一箱あった。「スゴい。企業は太っ腹だ。学校に閉じ込められてたらこんな体験はできない。」…とそのときは思ったけどいまから思えばあれは体のいい宣伝戦略だったに違いない。あれでボクたちはお菓子の名前を覚え、企業の名前を覚え、そしてもらったお菓子に味を占めて将来の顧客になる。あるいは子供にお菓子をねだられる保護者たちがすぐに顧客になる。そして宣伝費はお菓子の原価だけ。なるほど。いい戦略だ。まあ、お菓子が甘くて美味しかったから文句はない。

    お、遼一から返信だ。

    「漢字なら書いて覚えてる。皆と同じさ。もっといい方法を知ってたら教えてくれ。」

    「こんや父さんに聞いてみる。百合さんにも聞いてみてくれる?」

    「ああ、いいよ。いま聞いてみる。音声通話するかい?」

    「百合さんがお手すきなら。」

    「例によってキッチンに移動する。母ちゃーん。いま忙しい?」

    「それほどでもない。」

    「じゃさ、キッチンに来て、漢字の覚え方を教えてよ。智哉もリモートで話に参加する。」

    「はいよ。漢字の覚え方ねぇ…」

    「智哉くん、こんにちは。」

    「百合さん、こんにちは。」

    「二人とも、漢字をキレイに書けるようになりたいのではなく、漢字を手っ取り早く覚えたいのね?」

    「はい。そうです。」

    「右に同じ。」

    「私の場合、漢字に限らず、『覚える』ためには自分の問題集を作ってしまうのがいちばん上手くいった方法よ。例えば『あいじょう』という漢字がまだ書けないとする。そうしたら『あいじょう』という振り仮名だけを紙に書いて、しばらく放置するの。そして忘れたころにその振り仮名だけを見て『愛情』と漢字でかけるかどうかを自分でテストする。これと同じことをいろんな漢字でやるの。書けなかった漢字は見直して、時間が経ってからまた自己テストする。これの繰り返しで漢字を楽に覚えられるわ。」

    「そーゆーことはもっと早く教えてよ。」

    「聞かれなかったから教えなかっただけよ。私は書いて覚えるのがキライだったから、この方法を自分で編み出したの。この方法に味を占めた私は、いろんなことを『覚える』ためにこの方法を利用したわ。地名・人名・歴史の年号・動物の名前・化学式などなど、覚えることなら何でもドーンと来い!よ。」

    「はあ。さすが国立理系の卒業生。」

    「やっと私を尊敬したわね。」

    「いつでも尊敬してますよ、先生。」

    「なら今後は私を『母上様』とお呼び。」

    ボクは吹き出した。「母ちゃん」がいきなり「母上様」?そりゃないっすよ、ご婦人。

    「『母上様』って、オレはとんち小僧かよ。」

    「先生、質問があります。」

    「どうぞ。」

    「漢字は文字情報なので今のやり方で問題集は作れますけど、人名や地名の問題集はどう作ればいいですか。」

    「どうすればいいと思う?まずは二人で考えてみて。」

    「人名の場合、人物についての説明書きを読みながら人名を答える自己テストをする。」

    「肖像があるとなおいいね。」

    「いいな、それ。でもオレは絵が下手だ。」

    「教科書に載ってる肖像をケータイのカメラで撮影すればいい。そしてタブレットで肖像と説明書きを合わせる。簡単な説明書きならケータイで入力できるのかな。」

    「完璧だな。手間がかかりそうだけど。地名はどうする?」

    「単純化した地図を手描きして、地名を場所と対応させて問題としよう。「↓_____市。餃子で有名」とかね。」

    「その街は宇都宮市だ!」

    「ご名答。」

    「ウォオオオオオ!忙しくなってきやがったぜ。母ちゃん、オレ今夜餃子が食べたい。」

    「遼ちゃん、包むの手伝うかい?いやなら冷凍餃子を買いに行って。」

    「包むのを手伝います。包み方は教えてください、先生。」

    「よろしい。どっちにしても材料一式の買い出しにはいってもらうけどね。」

    「うわ。」

    「私は『それほど忙しくない』とは言ったけど、まだ仕事が残ってるの。さあて、今日の話はこのくらいでいいかしら?」

    「はい。十分です、ありがとうございました。」

    「じゃ、私は仕事に戻るわ。」

    「……大樹さんと話すことがひとつ減ったな。」

    「きょう学校の勉強をしてみて思ったんだ。いまのペースで勉強してたら4年生の課程が8月中に終わる。そろそろ次の教材を用意しないといけない。それと、5年生になると学校で英語が必修になる。中学卒業レベルまでの英語を勉強するには、もう始めてもいいころだ。父さんには教材一般と英語について質問するよ。」

    「そうか。じゃあ、オレはまず食材の買い出しにいって、餃子を包みながら同じことを母ちゃんに質問するよ。じゃあ、きょうの通話はこのへんにしようか。」

    「そうしよう。」

    夜、ボクは大樹さんに計画通りの質問をした。

    「まずは教材一般の選び方から。電子書籍と印刷してある教科書と、どっちがいい?」

    「電子書籍。」

    「なら電子書籍の教科書と問題集を検索してみてくれ。検索結果を3日後くらいに報告してくれたら、そのあとは一緒に選ぼう。」

    「はい。」

    「次。英語の学習方法について。まだ話していなかったが私は個人で英語を教えていた時期がある。そのときの経験に基づいて言わせてもらえば、学校の英語の教え方は最悪だ。文部科学省は、目と手だけで英語が学習できるとでも思っているのか?耳と口でやるのが言語の基礎学習というものだ。というわけで私は学校のやり方を根本的かつ全面的に否定する。根本的かつ全面的にだ。教科書を買うときに、音声教材がちゃんと付録にあるかどうかを確認すること。別売りでもいい。もし教科書に対応する音声教材がなければ、教科書ガイドを買おう。これも確認してくれ。それと私がむかーし昔に作ったオリジナルの発音練習教材があるから、それも使う。さらに詳しい英語学習方法は実際に英語を練習しながら教えていく。英語は好きか?」

    「好き。英語の音がカッコいい。あのカッコいい言葉を話せるようになりたい。」

    「さすが私の息子だ。私も同じ理由で英語が好きになった。いまでも好きだ。智哉さん、あなたを英語ペラペラ星人にしてあげよう。」

    「それって地球人じゃん(笑)。」

    「日本と英語圏は別世界だぞ。いけばわかる。英語圏がどれほど広いのかを調べてごらん。そしていつか英語圏に留学できるといいな。そうだ!市販の教材を選ぶには少し時間がかかるけれど、私のオリジナル教材ならもうすぐにでも使える。明日からさっそく英語の発音練習をやろう。所要時間は1回30分。あした時間はあるか?」

    「あるよ。30分くらいなら何曜日でもいい。明日は何時から空けておけばいい?」

    「明日は金曜日だから、いつものように夜だな。会社から帰って一休みしたら始めよう。19時くらいからになるかな。」

    「なら19時から空けておくね。」

    そのころの大沢邸にて。遼一は計画通りに餃子を包みながら、智哉と同じ質問をしたが、教材一般については大樹の答えとほぼ同じ答えが返ってきた。

    「英語については大樹さんに聞くといいわ。私は英語が苦手だったけど、大樹さんは英語がうまいらしいから。」

    「うん、わかった。そうするよ。ねえ母ちゃん、先日スパゲティに使った粉チーズがまだあるよね。そのチーズをこの餃子に入れてもいい?」

    「遼ちゃんは面白いことを思いつくわね。いいわよ。やってごらん。」

    遼一は実験的にいくつかの餃子にチーズを入れた。

    「悪くないわね。安いプロセスチーズを小さく切って入れても面白いかも。」

    食後の片付けを済ませると、遼一は智哉に文字メッセージを送る。

    「母ちゃんに、『英語のことは大樹さんに聞け』と言われた。明日の10時ごろからLINERで話せるか。」

    いよいよ明日は英語レッスンの初日だ。智哉はネットで英語圏関連の動画を見ながら寝落ちした。

  • 「おーい、起きてますかぁ?」

    「はーい、起きてますよぉ。」

    「職員室に人が集まるまでまだ時間があるよね。先に家事を始めるといい。クラス担任の教師に電話するのはそのあとで良かろう。」

    「はい、了解しました。」

    ボクはまず洗濯機を回し始め、洗濯機が回っている間に掃除も始める。これがきのうの夜、車中で大樹さんが教えてくれた段取りだ。

    「あなたのクラスは4年何組で、担任の名前は何?」

    「4年A組。担任は野沢先生。」

    「A組の野沢先生ね。野沢先生が職員室に現れるのは、いつもだいたい何時ごろかな?」

    「8時半くらい、だと思う。」

    「8時半ね。はい了解。」

    ……そろそろ8時半だな。掃除を一段落させよう。リビングルームの床はこのまま乾拭きするとして、自分の個室は床を後回しにして窓を拭こう。窓を拭き終えて、雑巾を洗ったらもう 8:25だ。ボクは固定電話の前で待機する。大樹さんがやってきて、学校への電話を始めた。

    「おはようございます。私は4年A組の荒川智哉の父親で、大樹と申します。A組担任の野沢先生が御在室でしたらお願いします。……あ、おはようございます。私は荒川智哉の父親で、大樹と申します。…こちらこそご無沙汰してます。智哉のことでお話ししたいことがるので、お時間を少々いただけますか。…はい、実は智哉がもう学校にはいきたくないと言い始めました。智哉と私が話し合った結果、智哉は不登校になると言ってますので、しばらくは学校を休ませようかと思いまして、まずは担任の先生に了承していただきたく、電話を差し上げています。…はい。では本人に替わります。」

    「電話を替わりました。荒川智哉です。……父と話し合った結果、条件付きで不登校を許してもらいました。……条件とは、家事を身につけることと、勉強を続けることです。……はい、勉強は続けます。教材や学習方法については父に考えがあるようなので、父の知恵を借りながらどうにかします。…あ、父が話をしたがっているので、電話を父に戻しますね。」

    「もしもし、電話を再び替わりました。不登校とはいえ、家庭ではできない勉強もありますから、これからも時々は学校に通うべきだと私は考えています。ですから、今後は『基本的には不登校。ときどき登校』という生活に移行したいのですが、了承してくださいますか。……家庭ではできないこととは、体育や図画工作、友達と対面しての交流などです。詳しくは本人が経験しながら学習していけば良いと考えています。……あ、了承してくださいますか。ありがとうございます。当分は学校を休ませますが、また登校しますので、そのときはまたよろしくお願いします。最後に、本人にもう一度替わりますね。智哉。」

    「電話を替わりました。智哉です。そんなわけなんで、次にいつ登校するのかはまだ決めてませんが、いずれは登校しますので、しばらくは時間をください。…ありがとうございます。(大樹に身振りで「電話を切っていいか」と尋ねながら)では、きょうはこれで失礼します。……ふう。電話って疲れる。」

    「おいおい、本当にプレゼントはガラケーでいいのかな?」

    「野沢先生とボクはそれほど仲良くないから緊張するけど、電話の相手が仲の良い友達なら通話が楽しいの。というわけで、やっぱり電話機が欲しい。今朝、早起きして電話の機種を選んでおいた。この写真に載ってる黒いのが欲しい。値段はどれも似たり寄ったりだから、これでいいよね。」

    「3万6千円か。まあ、そのくらいはするだろうね。これの黒だな。キャリアは SB社みたいだな。SBで本当にいいのか?」

    「キャリアは遼一と同じにして、SBについていろいろ教えてもらうことにするよ。

    「そうか。なら、メモしてさっそくきょう発注するよ。いいかな。」

    「はい。お願いします。」

    こうしてボクは10歳にしてケータイのオーナーになった。あ、遼一が一足先にケータイを買ってもらってるな。まあいいさ。タブレットはボクが先だ。のちにケータイが届いたとき、ボクが真っ先に電話した相手は、もちろん遼一だ。

    「あ、遼一?ボクだよ。智哉。ケータイが届いたんだ。いま通知したのがボクの番号だから、控えておいて。…え?いま料理中?どんな料理つくってんの?」

    「炊飯器の使い方から教わってる。明日は味噌汁を作る予定。じゃ、まだ台所仕事が残ってるから、この通話は手短に済ませよう。今後、ゆっくり通話したいときはまず SMSで通話開始時刻を約束してから、タブレットで音声通話、な。こっちもタブレットが届いたら電話するよ。では、またのちほど。」

    遼一とタブレットでゆっくり通話。いいねぇ。早く実現して欲しいものだ。まずはSMSで約束しておいて…SMS?なんだそれ?どうやって使うんだ?大樹さんに教えてもらって、初めてのSMSを大樹さんに送った。

  • 待ち遠しい二週間が過ぎて、きょうは誕生祝い@荒川邸の日。朋子さんとも無事に連絡できて、朋子さんもきょうきてくれることになった。いまから楽しみだ。ピンポーン。

    呼び鈴?約束の時間にはまだ早いのに。

    「はぁい!」

    「こんにちわ。お父さんいる?」

    「父に用ですか。少々お待ちください。」

    「父さん、誰か来たよ。」

    その誰かが持っていた買い物袋の大きさから察するに、あれは……。

    「あ、ご苦労様です。台所に運んでもらえますか。」

    「はい、喜んで。」

    「居酒屋流の挨拶ですか?」

    「……じゃぁこちらが納品書です。確認をお願いします。スパークリングが3本、ノンアルコールのスパークリングが3本、ビールが1ケース。お茶が合計6リットル。以上で間違いありませんか?」

    「間違いありません。」

    「毎度ありがとうございます。またどうぞ。」

    「さて、例によって酒その他の飲み物だ。」

    飲み物を冷蔵庫にしまっていると、また呼び鈴が鳴った。こんどは遼一と百合さんだ。

    「今晩は。今日はお世話になります。」

    「ねぇ、アレはいま渡す?」

    「乾杯のときでいいわ。」

    再び呼び鈴。朋子さんだな。主賓のボクが対応しよう。

    「いらっしゃいませ、朋子さん。この場所はすぐにわかった?」

    「うん。いい家ね。」

    「では家を案内するね。」

    ボクの個室とトイレを見せると、ボクは朋子さんをキッチンに案内した。

    「パイプ椅子ではない椅子に、テキトーに座って。」

    「うん。この席にする。キッチンがよく見渡せて気持ちいい。」

    「そろそろ乾杯の時間だね。母さんを起こさないと。」

    「もう起きてるわ。」

    「わ!びっくりした。……全員揃ったね。飲み物を注ぎ分けよう。」

     前回と同じく、大人にはスパークリングワイン、未成年にはノンアルコールのスパークリングワインを注ぐと、ボクはみんなの顔を見回した。みんな楽しそうだ。良かった良かった。朋子さんはちょっと緊張気味だけどそれは無理もないこと。

     「さて皆様、乾杯の準備はいかが。では母さん、乾杯の音頭をお願い。」

    「私は皆さんと一度は会ってるのかな。今夜は智哉の誕生祝いに駆けつけてくださいまして、ありがとうございます。たいした用意はありませんが、どうぞ時間の許す限りお楽しみください。では、カンパーイ!」

    「カンパーイ!!!!!」

    「あ、おいしい。ノンアルでも美味しいのね。ってゆーか、あたしこんなところで飲んでていいのかな。智哉くんの誕生日が今日だなんて知らなかったから、プレゼントを用意してないの。」

    「ボクの誕生日はきょうじゃないんだな。11日が誕生日だったんだけど、大沢母子に招かれて大沢邸で誕生祝いをしたものだから、荒川宅でもやろうという話になって、現在に至るというわけさ。で、プレゼントなんかいらない。来てくれただけでいいんだよ。」

    「あら、紳士ね。私と同い年なのに。」

    「オレと母ちゃんはプレゼントを用意したぜ。これだ!」

    「小さいながらも、かっこいい箱だな。開けてもいいか?」

    「もちろん。」

    「ボールペンだ。それも高級品!10歳でこんないいもの使っていいのかな。」

    「自分で考える大人にはそういう高級品が相応しいのよ。気に入ってくれたかしら。」

    「もちろんです。今の自分にはもったいないと感じます。」

    「就学前にタブレット買ってもらっておいて、いまさら何をおっしゃいますかー。」

    「いやぁ、テレる。タブレットのときよりも、このペンを受け取ることのほうがテレる。」

    「大樹さん、あなたからは何かないの?」

    「先日ガラケーを買い与えた。」

    「困ったわ。私何も用意してない。」

    「何もなくていいよ。欲しいものはだいたい手に入れたし、きょうの母さんは夜勤明けだし。」

    「夜勤?ナイトシフト?警備員なんですか?」

    「看護師よ。私は交代制勤務もやるから、夜勤の日もあるの。」

    「まぁまぁ、おしゃべりばかりしてないで、ご歓談を楽しみつつピザ食べようよ。みんながピザを食べている間にオレと智哉がスパゲティつくるから。」

    「あら、豪華。」

    「言われたものは調理台に並べてあります。IHは使い慣れていますか?」

    「はい、ウチもIHです。」

    「じゃ、シェフ智哉、いっちょうやりますか。」

    「やりますか。」

    「きょうは料理人が二人いるから、それぞれ別々に3人前のスパゲティを作ってもらうわ。失敗するとバレるから、丁寧に料理してね。」

    「はい!!」

    「どっちからやる?」

    「じゃあ、ボクから。」

    「遼ちゃん、後攻でいい?」

    「いいよ。」

    「じゃ、最初は見学ね。」

    「家じゃ遼ちゃんって呼ばれてるんだ。」

    「うるさいな。いいじゃんか!」

    「では先生、よろしくお願いします。」

    「まずはお湯を沸かします。沸かしながらバターを3人分切っておきます。」

    「3人分ってこのくらい?」

    「好みでいいけど、切れてるバター3つ分でどうかな。」

    「アレ3つ分。だいたいわかった。」

    「バターと粉チーズは同時に麺と和えるから、チーズも手元に用意しておいて。そろそろお湯が沸くわね。塩を軽く一掴みお湯に入れて。沸騰したら麺を3束入れます。」

    「3束。はい、3束バラしました。」

    「沸騰したので麺を投入。まずは3束分の麺をひとつにまとめて鍋の真ん中に立てる。その束を軽く捻ってから手を一気に離す。そう。麺が綺麗な螺旋状に広がったでしょ?この面は3分で茹で上がるから、IHのタイマーを2分にセットして。」

    「はい。…セットしました。」

    「食器を用意しましょう。大皿を2枚、取り皿とフォークを人数分、スパゲティを食べるのにスプーンも使う人はいる? ……いないのか。6人集まって一人もスプーンを使わないとは。そんなこともあるのね。 」

    IHのタイマーが鳴った。

    「ザルとボウルを用意して。そろそろね。……はい!湯切りしながら、そのお湯でボウルを温めて。そうしたらお湯は捨てて、温かいボウルの中に麺・バター・粉チーズを入れて和える。冷める前に手早くね。チーズが少し粘ってきたわね。オリーブオイルを少しだけ入れて、全体を延ばしてみて。そう。では大皿に全部盛って。最後にブラックペッパーを振りかけて完成。ブラックペッパーは、足したい人が足せばいいから大皿に盛る段階では量を控えめに。はい完成。テーブルに運んで。…遼ちゃん、いまの見てて手順がわかった?」

    「まぁ、だいたいはわかった。で、この料理の名前は?」

    「スパゲティ・カチョ・エ・ペペ。それじゃぁ第2弾の始まりよ。みなさん、冷める前にどうぞ召し上がれ。」

    「あれ、朋子さん、食べないの?」

    「食べる前に、見学させて。私にもできそうだから。」

    「できるわよ。じゃぁ、遼ちゃんのやることを見ててね。遼ちゃん、一人でやってごらん。もし何かあったら質問して。」

    「はい先生。早速質問です。」

    「どうぞ。」

    「常温の水に塩を入れてから温めないのはなぜでしょうか?」

    「温かくなってから塩を入れるほうが、塩が溶けやすいから。」

    「ふぅん、そういうものですか。」

    「そういうものですよ。」

    「塩・粉チーズ・黒胡椒は位置についてる。バターを切らなとな。先生、さっきよりも味を強くしたいのでバターとチーズの量を少しずつ増やしたいと思います。それでもいいですか。」

    「うん。第2弾は第1弾よりも少し味が濃い方がいいでしょう。よく気づきましたね。」

    「……バターは切った。これでぜんぶ位置についた。沸騰しつつあるから、そろそろ塩を軽く一掴み入れる。…沸騰した。では3束分の麺を鍋の真ん中に立てて少し束を捻ってから手を離す。ざぁっ。…よし。きれいにひろがった。タイマーは2分。先生、2皿目なので、麺を少し柔らかく茹でようと思います。いかがでしょうか。」

    「もう夜だし、疲れてる人は柔らかい麺を好んで食べるから、柔らかくしましょう。タイマーがなってから湯切りを始めるまではゆっくり動くといいでしょう。またよく気づきましたね。」

    「気づいたというより、勘ですよ。」

    「そういう勘は人を幸せにするわ。やるじゃない。」

    タイマーが鳴ってからは手早く。チーズを増やしたので、オリーブオイルも少し増やした。完成。さあ、テーブルにもっていくぞ。

    「できました。」

    聞かれてもいないのに料理の説明をあれやこれやとするのは野暮というもの。さて、洗い物を済ませてオレも食べることにしよう。…と思いきや、朋子さんがもう洗い物を始めている。

    「遼ちゃん、このソース美味しいよ。材料がまだあるなら私も作ってみたい。」

    「先生、材料は。」

    「もうない。麺がおわっちゃった。」

    「材料なら全種類あります。大沢家で使うスパゲティの銘柄を遼一くんに聞いて、ウチ用に買っておきました。シェフ智哉、このスパゲティはたいへん美味しゅうございます。また作ってくださいますか。」

    「ああ、作りますよ。作りますとも。ボクはペペロンチーノとカルボナーラのレシピを調べたけど、これよりも難しそうだった。これなら簡単にできて美味しい。で、朋子さん、本当に作るの?」

    「材料ならある。作らない手はない!作る。智哉くんへのプレゼントを兼ねて、作ると言ったら作る!」

    数分後、第3弾がテーブルに運ばれてきた。食べてみたら遼一の作った第2弾に味が近い。遼一のを手本にしたな。まぁ、遼一のソースを味見したのだから、遼一の味に似たのもしょうがないか。バターとチーズとオリーブオイルの油っこさと、ノンアルスパークリングワインの爽快感がとてもよく合う、最高の取り合わせとなった。ノンアルスパークリングワインをもっとたくさん冷やそう。酒屋はノンアルを3本持ってきたようだから、ひとり1本じゃないか。きょうはたっぷり飲めるぞぅ!そうだ。ピザも食べよう。これまたチーズとオリーブオイル対ノンアルスパークリングワインだ。最高だ。

    「んー、うまい。ノンアルコールとはいえスパークリングワインとこの料理がすごくよく合う。今夜は太ってもいい。どんどん食べてどんどん飲むぞう!」

    「智哉、酔ったのか?」

    「ノンアルで酔うもんか。」

    「いや、話し方の勢いが普段と違う。」

    「そうかい?なら、勢いづいたところで朋子さんにお願いしよう。」

    「お願い?どんな?」

    「遼一とボクが不登校なのは知ってるね。この不登校組と学校とを結ぶ架け橋になって欲しいんだ。」

    「架け橋?」

    ……….というわけなんだ。

    ボクは二人の不登校事情を説明して、朋子さんにして欲しいことを具体的に説明した。

    「頼みの内容はわかったけど、もう夏休みだから2学期が始まってからね。」

    そうか!もう夏休みか!遼一とボクは日付の感覚を失いつつある。曜日の感覚はまだかろうじて残っているけどね。

  •              Feedback Cycle

    アメリカの大学では。101といえば「初心者向けの講義」を表す記号だ。学部レベルは 300番台で終わる。400番台と 500番台は大学院レベルだ。きょうは智哉が大樹に英語の発音を習い始める日。そしてそのレッスンは初心者向けだから、このレッスンは「発音レッスン 101」なのである。

    いつものように掃除と洗濯を済ませると、智哉は国語・算数・理科の勉強を進めた。国語は教科書を読んで漢字の問題集を30問ほど作った。それが終わると、昨夜と同様に英語圏関連の動画を見始めた。

    「同じ英語でも、地域によって発音がずいぶん違うものだ。」

    イギリス・アメリカ・ジャマイカ・インド・フィリピンの関連動画をみて、智哉はふと考える。

    「留学するとしたら、どこがいいかな。やっぱりアメリカ?」

    そうこうしているうちに10時前になった。智哉は遼一に文字メッセージを送る。

    「準備はいいぞ。そろそろ始めるか?」

    遼一は文字メッセージに返信する代わりに智哉にコールした。

    「おはよう。きょうはもう勉強した?」

    「きょうは、この通話が勉強の始まりさ。」

    「英語の勉強法だったな。まず、耳と口で学習するのが英語らしい。だから教材を選ぶときは教科書だけを買うのではなく、必ずその教科書に対応する音声教材も買うように言われた。詳しい学習法は実際に学習を進めながら父さんが教えてくれることになってる。」

    「必ず音声教材も買うことね。了解。教科書はどれにする?」

    「前に6年生に見せてもらったけど、小学生用はつまらないよ。中学生用から始めたい。小学生用の教科書を読まずに中学生用を読むとどうなるんだろうね。大切なことを飛ばして困ることになるのかな。6年生に電話で聞こう。あ、いま調べてみたらデジタル教科書なるものができたらしい。これなら安いし、音声教材も含む。でも、まずは父さんが作った教材を使うよ。今夜さっそく発音レッスンを始めることになってるんだ。」

    「そうか。オレも参加していいか?」

    「所要時間が30分と決まってるから、2人同時に教えてくれるかどうかはわからない。見学ならしてもいいよ。遼一が発音を習うかどうかは父さん次第だね。」

    「発音練習かぁ。どんなことするんだろうね。学校で5・6年生が発音練習してるのが聞こえてきたことなんかほとんどないもんな。それが、発音練習だけで30分。見学だけでも楽しそうだ。」

    「どんなことをするんだろうねぇ。耳と口でやるのが英語学習だそうだから、板書なんかしないで、声を出しまくることになるのかな。」

    「THIS IS A PEN とか大きな声で言っちゃうわけ?」

    「そんな例文、誰がいつ使うんだよ。ペンには見えないペンでもあって、その正体を説明するときか?」

    「そうだな。人形があって、その人形は単なる飾りにしか見えないけれど、肘から先の部分を外すと中はペンになっていて、これは実はペンです!みたいな。」

    「おもしろいな、それ。昔のアニメに宇宙海賊の話があって、主人公の海賊はちょいとマッチョで野生味のある色男。その色男の左手には特殊な銃が仕込んであるんだ。その色男のデザインで作れば売れるかも。」

    「いいね。おもちゃメーカーにアイディアを売り込もう。」

    「売り込んでも、不登校の10歳児からは何も買ってくれないよ。プレゼンテーターの代理を父さんに頼もう。」

    「さて、そろそろボクも昨日の復習をする時間だ。また夜に話そう。」

    「ああ。オレは何の勉強をしようかな。算数と理科は毎日やるとして、きょうは国語か社会の教科書を読もうか。英語の復習も忘れてはいけないな。」

    「そうか。じゃ、またな。予定では19時開始だ。」

    「了解した。」

    18 : 42。大樹帰宅。

    「ただいま戻りました。」

    「おかえりなさい。きょうの英語レッスンは遼一が見学する。見学だけならいいでしょ?」

    「参加しないと楽しくないぞ。参加してもらってくれ。所要時間は『二人で45分』に変更だ。」

    「遼一も参加する。3人で英語レッスンか。楽しそうだな。」

    「私が一休みしてる間、ケータイを用意しておいてくれ。録音・再生用の機材として使う。」

    「はい。」

    さっそく耳と口を駆使する学習の始まりのようだ。

    19時5分前、遼一からコール。

    「よう。早かったな。」

    「見学させてもらう身としては、遅刻するわけにはいかんだろ。」

    「見学だけじゃなくて参加してもいいそうだ。所要時間は『二人で45分』に変更。待ってるあいだにケータイを用意しておいてくれ。録音・再生用の機材として使うらしい。いまから遼一がこっちに来ると遅刻になっちゃうから、スピーカーから出る音を録ることになるけど、やらないよりはいいだろ。」

    「ああ、やってみる。………用意したぞ。何か喋ってみてくれ。」

    「きょうは何の勉強をしたの?」

    「算数と理科。このふたつはいいね。答えがはっきりしてる。…はい。じゃ、再生してみる。…うん、智哉の声もオレの声もちゃんと入ってる。」

    「ところで、市販の教材をいくつか調べたら、教科書ガイドが良さそうだ。この地域の中学ではニューホライズンとかいう英語の教科書を使ってるから、それの教科書ガイドを二人がそれぞれ買って、教科書ガイドを二人に共通する教材したらどうだろう。」

    「音声教材もついてるのか?」

    「音声と動画につながる二次元コードを含んでる。」

    「そりゃいいな。なら、それにしようか。」

    「遼一くん、こんばんは。」

    「こんばんは。」

    「さて、そろそろ始めるか。まずは景気付けに声を出すぞ。」

    そう言うと、大樹さんは1枚のプリントアウトをボクに手渡した。

    「いま智哉に渡したプリントアウトと同じ内容のメールを智哉に送っておいたから、智哉からそのメールをあとで転送してもらってくれ。」

    「はい、わかりました。」

    「レッスンを始める前に、智哉、ケータイを貸してくれ。音声教材をここで作る。」

    「…ここを押すと録音開始、録音を止めるときにも同じ場所のボタンを押す。」

    Humpty Dumpty

     (Mother Goose)

    Humpty Dumpty sat on a wall.

    Humpty Dumpty had a great fall.

    All the king’s horses 

    and all the king’s men

    couldn’t put Humpty together again.

    ハンプティ・ダンプティ 塀に座った。

    ハンプティ・ダンプティ (高い塀から)落っこちた。

    王さまの馬ぜんぶでも、そして王さまの家来ぜんぶでも、

    ハンプティをもとには戻せなかったとさ。

    「はいよ。じゃ、書いてあるとおりのものを読み上げるから、黙読しながら聞いててくれ。”… Humpty Dumpty……”」

    大樹さんは立ち上がって全身を軽く揺さぶりながらリズムをとり始めた。1拍3拍で指のスナップ、2拍4拍でハンドクラップを打つ。

    「”Humpty Dumpty sat on a wall…………………………couldn’t put Humpty together again. …… This Little Pig Went to Market…………………… I can’t find my way home.” ……よし、録れてる。さて、学校には英語活動なるものがあったね。ということは二人とも英語が少しは読めるはずだ。一行ずつ、交代で読んでくれ。遼一くんから。」

    「はい。”Humpty Dumpty satto on a wo-ru.”」

    「ありがとう。まず、ありもしない音を発音してはならない。”satto” ではなく “sat”。-t,t,t,t,t,t,…この音でこの単語の発音は終わりだ。そして ”wo-ru” ではなく “wo-l(wɔ⧖l)”(著者注釈:括弧内は発音記号表記)。L その他の、日本語にはない音は、この段階では聞いて真似てくれ。では次、智哉。 」

    「Humpty Dumpty sat on a wo-u.」

    「Good. 」

    (中略)

    「……together again.」

    「Good. さて、英語の発音で大切なのは、まずは英語らしいリズムで発音すること。リズムが英語らしくないとダサい発音になるし、発音する本人が疲れる。リズムが英語らしくないときには、1)単語と単語のあいだをブチブチと切っている 2)英語にはない音を勝手に挿入している 3)音の強弱・長短がはっきりしないか、または間違っている。こうした発音をすると、リズムが英語らしくなくなる。

    まず1)について。単語と単語のあいだにあるスペースは音の切れ目を表していない。スペースのあるところで音を切ってはならない。2)についてはさっき言ったとおり。これをやってしまうと、音が増える分だけ時間が長くかかってリズムに大きく影響する。3)の強弱と長短については、自分の体で感じてくれ。以上をまとめると、英語の発音はまずリズム!リズムリズムリズム!日本語にはない音を正確に発音するのはリズムを身につけてからでいい。

    今夜は主に1)の問題を解消する練習をする。英語には、子音で終わる単語がいっぱいある。子音で終わる単語に、母音で始まる単語が続くとき、この子音と母音は音がつながる。この現象をリエゾン(liaison)という。例えば一行目。sat は子音で終わり、その次の on は母音で始まる。このとき sat の t と on の o がつながる。ローマ字で t+o は何かな?」

    「『ト』です。」

    「智哉の答えは?」

    「『ト』です。」

    「はい、二人とも正解。リエゾンを書くときには sat ‿ onという具合に、下に凸の弧を書くことで、二つの音がつながることを表す。一行目にはリエゾンするところがもう1箇所ある。どこにあるのだろう。」

    「on が子音で終わって a は母音だから、このふたつの単語がリエゾンします。書くなら on ‿ a となります。」

    「正解。智哉、二行目にはリエゾンする箇所があるかな。」

    「 had ‿ a」

    「では三行目はどうだろう。」

    「リエゾンしません。」

    「正解。智哉、四行目は?」

    「and ‿ all。」

    「正解。では最後、五行目は?

    「リエゾンしません。」

    「ふふん。するんだな、これが。もういちど考えてごらん。」

    「…… 先生、r は子音ですか?」

    「遼一くん、素晴らしい質問だ。智哉、答えてごらん。」

    「……カタカナで書くときはこの単語の語尾をトゥゲ『ザー(Tugezaa) 』って伸ばすから母音みたいにも思えるけど、ローマ字を書くときには r はラ行の子音だから、英語でも r は子音じゃないかな。」

    「この場面でローマ字を思い浮かべるのはとてもいいね。そう、そのとおり。英語の r は子音なのだよ。ということは together again の発音は?」

    「together ‿ againは r+a のリエゾンだから ラになる。」

    「そのとおり!それじゃあ二人とも立って。一行ずつ私に続いて読んでくれ。Humpty Dumpty sat ‿ on ‿ a wall.」

    「Humpty Dumpty sat ‿ on ‿ a wo-u.」

    (中略)

    「……それでは、二人ともいま感じてることを言葉にしてください。どっちからでもいいよ。」

    「ボクはたったいま英語を話したような気になっています。」

    「オレもです。リエゾンは日本語にはない発音方法だからちょいと戸惑いましたが、練習すればそのうちきっと、意識しなくてもリエゾンできるようになると思います。」

    「んっ。日本語でもリエゾンすることがときどきある。野球でアウトが一つのことをワンウトと言わずにワンウトと言うだろう。この場合、『ン』と『ア』がリエゾンしている。これが一例だ。」

    「ああ、そうか。気づかなかった。」

    「それでは次に、英語学習全般について話をしよう。この図を見てくれ。図の真ん中に描いてあるマルは self つまりは自分自身を表してる。右半分の円はヒトが聴覚でやることを表している。これをaural halfと呼ぶことにしよう。左半分は視覚でやることを表している。これを visual halfと呼ぶことにする。aural half の speaking は話すこと、listening は聴くことだ。visual halfの writing は書くこと、reading は読むことだ。ここまでで何か質問は?」

    「feedback というのは何ですか?」

    「その答えは『後のお楽しみ』にしておいたのだよ。出たものが出どころに帰ること。それが feedback だ。自分が話すことは聴くことによって自分に戻ってくる。これが aural half の feedback。自分が書くものは自分も読む。これが visual half の feedback。この feedback がとても大切だから、英語の練習にはspeaking と writing が不可欠だ。何しろ出せば出すほど戻ってくるのだから、入れることよりも出すことのほうがはるかに大切。具体的には聴き取り練習よりも発音練習のほうがはるかに大切。発音練習は聴き取り練習を兼ねる。そしてその逆はない。読書よりも作文のほうがはるかに大切。作文は読書を兼ねる。そしてその逆はない。さあさあ、英語を出して出して出しまくろう。」

    「発音を身につけるまでに何年かかりますか。10年?」

    「寿司職人になるわけじゃないんだ。そんなにはかからない。不登校だったら3ヶ月でできるだろう(著者注釈:寿司職人の修行に10年かかっていたのは、寿司職人の育成過程が古(いにしえ)の師弟制度だった時代の話で、最近では専門学校にいけば半年で寿司職人になれるらしい。一例:https://www.sushiacademy.co.jp/course/sushisyokunin)。

    「先生、予習のやり方を教えてください。」

    「原則として、このレッスンに予習はいらない。復習をガッチリやってくれ。それでも予習したくなったらレッスンの始めに録音した音声教材を聴くだけにしておいてくれ。私ぬきで練習すると変な癖がつくかもしれないから、練習はしないこと。あくまでも予習は聴くだけ。そして復習重視だ。いいかい、ふたりとも。」

    「はい。わかりました。」

    「わかりました。」

    「では次回以降の日程を決めよう。二人とも不登校だから週2回くらいやろうか。どうだ?週2だと疲れそうか?」

    「いえ、そんなことはありません。」

    「週2ならボクも難なくできます。」

    「なら水曜日と土曜日でどうだ?燃える資源を回収してもらう日だ。覚えやすくていいだろ。」

    「そうですね。」

    「きょうが金曜日だから次は明日?それとも5日後の水曜日ですか?水曜日ならたっぷり復習できます。水曜日にしましょう。」

    「ああ、そうしよう。水曜日はきょうと同じ19時から。土曜日は10時からにして、土曜の午後からは遊べるようにしよう。」

    「それはいい案ですね。」

    「賛成します。」

    「では日程が決まったところで、きょうのレッスンは終わります。あとは2人で話したいことがあれば話すといい。では遼一くん、智哉さん、お休みなさい。」

    「おやすみなさい。ありがとうございました。」

    「ありがとうございました。」

    「…さて遼一くん、何か話したいことがあるの?」

    「んー、教材の話はもう済んだから、特にないよ。中一用でいいんだよな。

    「そうだね。すでに小学校の課程を飛ばすつもりでいるから、それ以上に飛ばさずに1年生用がいいと思う。」

    「それでは今夜はもうお開きね。おやすみ。」

    「おやすみ。」

    その後、ボクは個室に戻ると復習を始める支度をして、横になって少し休憩した。音声教材を録音したあと、さっきのレッスンはまるごと録音した。復習の道具にもってこいだ。このレッスンに朋子さんも誘おうかな。遼一はどう思うだろう。文字メッセージを送っておこう。「メールは転送しておいた。それとは別件。次回以降のレッスンに朋子さんを誘うというのはどうだろうか。」送信。

    復習開始。まずは音声教材を聴いて、真似して発音するところからやってみようか。大樹さんがゆっくりラップ調に読んでくれたから聴き取りやすい。これならプリントアウトを見なくても全部聴き取れそうだ。

    「Humpty Dumpty ………… together again.」

    これを3回やったところで、さっきのレッスンを聴き直す。きょうの要点は「英語はリズムだ!」そして英語の音を切らない練習、主にリエゾンの練習をした。5日も復習すれば暗唱すらできそうな気がする。もういちど自分で発音して、今夜は終わろう。

    付録

    This Little Pig Went to Market 

     (Mother Goose)

    This little pig went to market.

    This little pig stayed at home.

    This little pig had roast beef.

    This little pig had none.

    And this little pig cried;

    “Wee-wee-wee-wee-wee.

    I can’t find my way home.”

     この子豚は市場にいった。

    この子豚は家にいることにした。

    この子豚にはローストビーフがある。

    この子豚には何もない。

    そしてこの子豚は泣いた。

    「えーん、えんえん、えーんえん。

    帰り道が見つからないよう。」

  • 「おーい、起きてますかぁ?」

    「はーい、起きてますよぉ。」

    「職員室に人が集まるまでまだ時間があるよね。先に家事を始めるといい。クラス担任の教師に電話するのはそのあとで良かろう。」

    「はい、了解しました。」

    ボクはまず洗濯機を回し始め、洗濯機が回っている間に掃除も始める。これがきのうの夜、車中で大樹さんが教えてくれた段取りだ。

    「あなたのクラスは4年何組で、担任の名前は何?」

    「4年A組。担任は野沢先生。」

    「A組の野沢先生ね。野沢先生が職員室に現れるのは、いつもだいたい何時ごろかな?」

    「8時半くらい、だと思う。」

    「8時半ね。はい了解。」

    ……そろそろ8時半だな。掃除を一段落させよう。リビングルームの床はこのまま乾拭きするとして、自分の個室は床を後回しにして窓を拭こう。窓を拭き終えて、雑巾を洗ったらもう 8:25だ。ボクは固定電話の前で待機する。大樹さんがやってきて、学校への電話を始めた。

    「おはようございます。私は4年A組の荒川智哉の父親で、大樹と申します。A組担任の野沢先生が御在室でしたらお願いします。……あ、おはようございます。私は荒川智哉の父親で、大樹と申します。…こちらこそご無沙汰してます。智哉のことでお話ししたいことがるので、お時間を少々いただけますか。…はい、実は智哉がもう学校にはいきたくないと言い始めました。智哉と私が話し合った結果、智哉は不登校になると言ってますので、しばらくは学校を休ませようかと思いまして、まずは担任の先生に了承していただきたく、電話を差し上げています。…はい。では本人に替わります。」

    「電話を替わりました。荒川智哉です。……父と話し合った結果、条件付きで不登校を許してもらいました。……条件とは、家事を身につけることと、勉強を続けることです。……はい、勉強は続けます。教材や学習方法については父に考えがあるようなので、父の知恵を借りながらどうにかします。…あ、父が話をしたがっているので、電話を父に戻しますね。」

    「もしもし、電話を再び替わりました。不登校とはいえ、家庭ではできない勉強もありますから、これからも時々は学校に通うべきだと私は考えています。ですから、今後は『基本的には不登校。ときどき登校』という生活に移行したいのですが、了承してくださいますか。……家庭ではできないこととは、体育や図画工作、友達と対面しての交流などです。詳しくは本人が経験しながら学習していけば良いと考えています。……あ、了承してくださいますか。ありがとうございます。当分は学校を休ませますが、また登校しますので、そのときはまたよろしくお願いします。最後に、本人にもう一度替わりますね。智哉。」

    「電話を替わりました。智哉です。そんなわけなんで、次にいつ登校するのかはまだ決めてませんが、いずれは登校しますので、しばらくは時間をください。…ありがとうございます。(大樹に身振りで「電話を切っていいか」と尋ねながら)では、きょうはこれで失礼します。……ふう。電話って疲れる。」

    「おいおい、本当にプレゼントはガラケーでいいのかな?」

    「野沢先生とボクはそれほど仲良くないから緊張するけど、電話の相手が仲の良い友達なら通話が楽しいの。というわけで、やっぱり電話機が欲しい。今朝、早起きして電話の機種を選んでおきました。この写真に載ってる黒いのが欲しい。値段はどれも似たり寄ったりだから、これでいいよね。」

    「3万6千円か。まあ、そのくらいはするだろうね。これの黒だな。キャリアは SB社みたいだな。SBで本当にいいのか?」

    「キャリアは遼一と同じにして、SBについていろいろ教えてもらうことにするよ。

    「そうか。なら、メモしてさっそくきょう発注するよ。いいかな。」

    「はい。お願いします。」

    こうしてボクは10歳にしてケータイのオーナーになった。あ、遼一が一足先にケータイを買ってもらってるな。まあいいさ。タブレットはボクが先だ。のちにケータイが届いたとき、ボクが真っ先に電話した相手は、もちろん遼一だ。

    「あ、遼一?ボクだよ。智哉。ケータイが届いたんだ。いま通知したのがボクの番号だから、控えておいて。…え?いま料理中?どんな料理つくってんの?」

    「炊飯器の使い方から教わってる。明日は味噌汁を作る予定。じゃ、まだ台所仕事が残ってるから、この通話は手短に済ませよう。今後、ゆっくり通話したいときはまず SMSで通話開始時刻を約束してから、タブレットで音声通話、な。こっちもタブレットが届いたら電話するよ。では、またのちほど。」

    遼一とタブレットでゆっくり通話。いいねぇ。早く実現して欲しいものだ。まずはSMSで約束しておいて…SMS?なんだそれ?どうやって使うんだ?大樹さんに教えてもらって、初めてのSMSを大樹さんに送った。

  • 2025年 7月10日、10歳になる誕生日の前日にボクは「ボクはもう学校なんかにいかない。学校はもう退める。」と父さんに宣言した。

    これで明日の誕生日は学校から解放されて自由に過ごせる。

    父さんとボクは少しもめた。

    「学校を退める?あなたは自分が何を言ってるのかわかっていますか?いませんか。」

    「もちろんわかっているよ。学校にはもういかないってことだよ。」

    「ふうん、日本国憲法に出てくる『国民の3大義務』を知っていますか。」

    「それではまず、教育の義務についてはどう考えますか。あなたはまだ義務教育の半分も終えてないよ?」

    「教育の義務というのは、子どもに教育を受けさせる義務が保護者にあるということだよね。ボクの保護者は父さんだ。ボクじゃない。ボクには何の義務もない。ましてや学校にいく義務なんて誰にもない。」

    しまった! この若さでタブレットコンピュータなんか買い与えたから、知恵がついたか。

    「父さん、これ、ゲームもできるの?できるよね。」

    「ゲームかぁ …… 」

    「やっちゃだめなの?」

    しばらく考えてから私は答えた。

    「やってもいいけど、許可なくやっていいのは無料のものだけだ。有料のゲームが欲しくなったら私に相談してくれ。それと、ゲームは1日1時間までだ。」1時間は7歳児には長い。それだけの時間があれば十分だろう。智哉は同意した。

    話を現在に戻そう。

    「学校をいつ退めたいんだ?」

    「すぐ。」

    「明日からはもう学校にいかないつもりか?」

    「うん、そのつもり。」

    教育の義務を智哉は正しく理解している。とはいえ、彼が家に独りでいて暇を持て余してもロクなことがなさそうだ。私は再び長考し、学校を退めるにあたって、条件を設けることにした。

    「条件が3つある。その1、明日、7月11日は学校にいって、友達に学校を退めると報告すること。学校にいかなくなるのは 7月12日からだ。その2、毎日早起きして家事を必ず何かやること。その3、学校で習うことは自宅・街中・自然環境のどこかで勉強すること。なお、条件はあとで増えるかもしれない。」

    「その1はいいとして、その2はなぜ?」

    「家事ができると大きな自由が手に入る。家事ができないと生存能力が乏しいままで終わり、自由なんかほとんどない。それが理由だ。簡単な料理と、掃除・洗濯くらいはできるようになっておきなさい。」

    「……うん、わかった。じゃぁその3は?」

    「学校で習うことは、みんながいつか知ることだ。あなただけがそれを知らないと何かと損をするのだよ。例えば、スポーツのルールとか英語の基礎だ。『みーんな知ってるのにオマエ知らないのかよ(笑)』とか言われたくないだろう?」

    「まあね。」

    「心配はいらない。独りで考えても、ネットで調べてもわからないことは、中学卒業レベルまでなら、私に質問すればきっと教えてあげられるからね。」

     私は智哉に国民の義務について問い続けた。

    「労働の義務についてはどう考える?」

    「そんな義務はないよ。子供・高齢者・専業主婦、それから病人も怪我人も労働しないもの。労働しないからって罰せられることはないよね。」

    「確かにそのとおり。じゃぁ納税の義務は?」

    「その義務もない。稼ぎの少ない人は税金を払わないもの。これも罰則はない。つまりね、日本人には義務なんかないの。兵役の義務がない日本では、人はみーんなみんな自由なの。」

    「そのとおり。よくぞそこまで学んだな。」

    「タブレットをどうもありがとう。」

    そう言って智哉はニンマリと笑った。

    次の記事に続く